新しい自分の作り方

BHSバーバラブレナンヒーリングサイエンス認定プラクティショナー/シカ・マッケンジーのブログ

介護施設で(2)

BBSHのある先生から聞いた話では、歳をとるにつれて生体エネルギーフィールドの境界線は弱くなり、肉体や精神を支えるのが困難になりがちだそうです。

 

そう仮定すると、歳をとって短気になったり涙もろくなったり、といったことも理解できそうな気がします。オーラの中の理性のレベルの規制が弱まり、感情や衝動がリアルに放出されるのかもしれません。

 

ああ、いやだ、だから歳はとりたくない……とは、私は思いません。どんな変化も進化だと思うからです。

 

 

「若くて元気な時と同じであるべき」という考えに執着するなら、老化は耐えられない悪であり悲劇になるでしょう。「昔はあんなに元気だったのに、今はこんなになってしまって」という。 そのような悲しみ方は健康的と言えるだろうか、と私は思います。

 

 

そのような見方でいうと、私が出会ったある女性ほど、悲しい存在はないでしょう。彼女はその整った顔立ちと美しい肌のために、年齢不詳ですらありました。

 

若い頃はさぞかし、と想像せずにはいられない美人です。モデルか女優だったかもしれません。歳を重ねた彼女は介護施設の談話室におり、椅子に腰かけ、昔話を延々と語ります。若い頃は社交的で朗らかで、おそらくは仲のよい友人たちと外国旅行をしたり、華やかなパーティーに出たりしていたでしょう。

 

おそらくは、と私が書いたのは、彼女の話す言葉が言葉として理解できなかったからです。支離滅裂なのではなく、言語としての形をなしていない。

 

彼女のパジャマの前のあたりは不自然に乱れています。それは、胃に差し込まれたチューブのためでした。認知症のために"食べる"という行為が理解できなくなったための処置、と施設の職員さんが話してくれました。

 

彼女は話し続けます。隣に座っている、他の人に話しているつもりなのか、目の前に誰かがいる幻を見ているのか? 笑みを浮かべ、心の中の情景は鮮やかに躍動しているかのようです。

 

私は彼女の瞳を忘れることはないでしょう――その瞳は、私が見たどんな人よりもキラキラと輝いていたからです。

 

薬の影響で、そうなっているのかは確認できませんでした。彼女のオーラの印象を振り返ってみると、身体に近いレベル(第1、第2、第3)の統合が大きく崩れ、奇跡のような形で、高次のレベルの光が流れ込んでいる……まばゆいほどに。それは私の主観的な観察でしかないのですけれど。

 

こんなに美しい人がこの世にいるのか、と驚嘆したことは、強烈なインパクトで私の記憶に残っています。悲しいとか、哀れだとか、そういった感情とは無縁の輝きとして。

 

脳の認知機能が働きを止めたら、魂のきらめきが前面に躍り出してきた――そんなこともあるのかもしれません。人間の可能性には、未知の部分が大きいです。