BBSHで4年間を通して学ぶことの一つに「性格防衛(キャラクター・ディフェンス)」があります。誰もがみな、意識に刻まれた傷を持っており、それを守ろうとして用いる防衛のパターンが主に5つあるのです。
私がよくしていた防衛は「スキツォイド」と呼ばれるものでした。肉体としてそこにいても(例:教室の中)、意識はどこかに逃げてしまう(例:空想の世界)。
逃げるのは、自分として存在するのが怖いからです。嫌われることが怖いのではなく、ただもう、存在すること自体が怖い。
身体から意識が逃げかけていますので、人柄や性格も、フワフワした印象を人に与えます。つかみどころがない。謎めいている。生活感がない。そう書くと「なんだか素敵」と思えるかもしれませんが、要は現場にちゃんといないのですから、人づきあいも難しいですし、わけのわからない孤独感があります。
そうした分析のしかたがあるとは知らずに、私はBBSHに入学しました。1年生の時には「うわー、もしかして私、スキツォイド?」と興奮しました。自分のパターンを見つけたことが嬉しかったのです。でも、それはもちろん、喜ぶべきことではありませんでした。
「はい、身体に戻ってきて頂戴」
たまに先生にそう言われました。ふとした時に、意識が身体からズレるか、半分抜け出しかかってしまうのです。先生に、やんわりと、頭の斜め上あたりに手をかざされて、連れ戻された(?)こともありました。
オンラインサイキックのダニエルさん(仮名)の言葉が、まさに私のスキツォイド防衛の不毛さを言い当てていたのは見事でした。
「君は『退場する』と言うけれど、退場してどこへ行く? 退場なんて、意味のないことだ」
――無意味な退場。
それはつまり、自分の生き方を創造せずに、ただ恐怖に駆られてエネルギー的に反応しているだけのことでした。具体的な行動を起こす意志などありません。身体はそこから動かないまま、ただ、意識だけが「退場したい」とわめいています。
もちろん、それはBBSHを卒業した今だからこそ、きちんと分析できることです。当時の私は、ダニエルさんの言葉の意味を、本能的なレベルで捉えました。
――ここに居続けるしかないんだ。
また、同時に、それとは正反対の心の声も聞こえました。
――ここにいたって、いいことなんか、何もない。
でも、私は落胆したわけではありませんでした。「自分の意識を変えよう」。そう思ったのです。ここにいながらにして、自分の意識が変われば、まったく別の世界に行けるに違いない。
「ここにいたって」という言葉の「ここ」とは、自分の意識のありようです。では、どこに向かえばいいのでしょうか? ダニエルさんは、その答えを提示してはくれませんでした。
――ヒーラーと、同じじゃん。
優れたヒーラーは、クライアントに答えを教えません。
優れたヒーラーは、ただ問いを投げかけます。
それは、人によっては物足りなく感じたり、ヒーラーが冷淡だと感じたりするかもしれません。皆さんは、どのように感じるでしょうか。