何を信じ、信仰心をどう表現するかは個人によってさまざまです。同じ宗派を信仰する家族の中でも、一人ひとりの信念をよく見てみると、意外とばらばらだったりするのではないでしょうか。
私の実家は浄土真宗ですが、私はキリスト教(プロテスタント)系の私立大学に進み、ヒーリングスクールで学んだ後は、興味が赴くままに真言宗や曹洞宗の教えにも触れています。
ごちゃごちゃしていますが、結局、ようやく、30分なり1時間なり、瞑想や坐禅ができるようになりました。心を穏やかにして座れるようになったのです。そこに至る道筋は、それはもう、何でもありでしょう。
掃除をしたり
料理をしたり
お風呂に入ったり
ストレッチをしたり
合気道の稽古をしたり
宇宙ひよこ隊の絵を描いたり
なんでもいいと思います。
「まず形から入るべきだ、仏壇に手を合わせるべきだ」と言う割には、黙して坐ることができない人に対して、「それはわかったけど、形から入って、いったい、どこに行こうとしてるんよ?」と言ったことがあります。案の定、答えは返ってきませんでした(^-^;
まあ、屁理屈を言う娘ですよね、私は。
でも、誰しもが試行錯誤しながら、結局は光を求めているのです。
それぞれの人が、それぞれのペースで、それぞれの旅路を歩んでいるのですよね。
それを尊重することで、摩擦はかなり回避できる、と私は思います。それと同時に、自分が信じることを、黙って実行する。
すると、相手のあり方を嘆き、相手が変わってくれることを望む気持ちが一瞬のうちに消え去ります。