「キレる」ことについて考えています。
といっても、私が考えているのは、人とのつながりが「キレる」時。
私たちが幼い頃から体験することです。
いつも自分だけを見てくれていたお母さんが背を向けた。
仲良しだと思っていた友達が、急に自分を無視した。
こんな文章を読むだけで、泣き出したくなる人もいるでしょう。いつもある、ずっとあると感じていた「つながり」が突然キレた時、私たちは強いショックを受けます。
切り離される悲しみは、人生の中で何度も出てきます。
とても些細な場面で出てきます。
仕事場で、自分だけきつい仕事を任される。
過労で体をこわしても、誰もいたわってくれない。
それどころか「なぜ休むの」と白い目で見られる。
助けを求める声、つながりを求める声が出せなくなる。
恋人ととても仲良くなった次の瞬間、突然距離を置かれる。
自分の存在が重かったのだろうか、それでは連絡をしないでおこうと考える。
すると、いつの間にか、相手は別の恋人を作って仲良くやっている。
いつ、何がどうなって、こうなったのか全くわからない。
これもディスコネクションなのでしょう。映像を巻き戻すことができるなら、つながりが「キレた」瞬間がピンポイントでわかるはずだと私は思います。
体の不調を治したい。
生きがいを見つけたい。
パートナーを見つけて幸せになりたい。
その願いを叶えるために、「キレた」部分をつなげよう……そう思います。
私自身、とてもシビアな分断を日々体験しています。
どうすればつなげられるのか、癒せるのか、わからなくて途方に暮れることもあります。
「日にち薬」と言いますが、時間の経過を待つだけでは修復できない気がします。
まずは、私が、つなげる。
つながる。
いま、私の目の前にあるものと、
私の中の本当の私と。
乱暴に求めるのでなく、
こまやかに、ていねいに。
キレた部分、自分で切った部分を少しずつ。
日常生活の一瞬一瞬で。
そうしなければ、きっと未来は変わらない。
過去の傷も癒せない。
小雨が降る街を見ながら、小さくて、大きな仕事を今日もしています。