BBSHには「プロセス」という授業があります。心のわだかまりを解くワークをします。3年生までは、クラスを半分に分け、少人数の中で悩みを打ち明けたい学生が挙手して話すというもの。
4年生ではクラス全員が一斉にプロセスをします。この前のスクーリングでは恐ろしいエクササイズ(笑)がありました。詳しくは伏せますが、二つに分かれて紅白歌合戦、というか、紅白怒鳴り合いとなったのです。
私は怒鳴り合う理由が自分の中に見当たりませんでしたので、黙っていました。他にも数名、何も言わない人がいました。「英語が母国語でないのでついていけなかった」という人もいたようです。
にもかかわらず、紅白はどんどんヒートアップしていきました。途中で「先生はどうしてこんなことさせるんですか? 何をすればいいんですか?」と戸惑い始める学生も出ましたが、ただ続けろと言われ、さらに怒号が飛び交いました。すごい火花、エネルギーの応酬です。
ふと、そのエネルギーが、黙っている私たちの方に向かってきました。
「この人たちは参加していない!」「逃げてる!」という発言。果てには「ついていけてないあなたたちの世話をするのはもうたくさん」という発言も。また「日本人は黙る文化だから」という声もありました。
ここで私はぷちっとキレました。なに言ってんの。私は自分で黙ることを選択しているのよ…日本人だからじゃないわ、と。ああ、あの人たちは先入観でものを見ているだけなのね、と自分の心をおさめつつも、全身ぷるぷるしてしまいました。
その日の夜は大変でした。身体は痛いし、しんどいし、寝れば怖い夢を見てうなされました。なんなんだろう、これは…朝起きると「ファシズム」という言葉が下りてきました。
これか。私が嫌っていたのは。
翌日、軽くふてくされてメディテーションをさぼり(4年生なので怒り散らすことはもうありません(^-^))、心を落ち着け、クラスの集まりに顔を出しました。この集まりでは発言するチャンスが与えられるのです。
私はマイクを取りました。
そして、静かにこう話しました。
「昨日のプロセスで私は怒鳴る気持ちになれませんでした。もう、あの"紅白"の対立や怒りは私の中で消化できているんだと思います。しかし、"紅白"がヒートアップして場外にいる私に襲いかかってきた時は恐ろしかったです。
日本人は何も言わない、という声もありましたね。しかし、私は明確な理由があって黙ることにしたのです。そして皆さんの叫びを真剣に聞きました。なのに『お前は参加していない、何か言え』と言うのは『私たちがやっているのと同じことをしろ』と言うのと同じ。
それがまさに、第二次大戦中に日本にあった風潮なのです。英語で『conformity』と呼ぶものです。たった一人の権威者が『これをしろ』と言ったから、全員がそれに従う…そして、戦時中では、従わない人は『非国民』として嫌がらせを受けました。個人の精神の自由を認めない、恐ろしい風潮…それは人々の心の不安がなせる業でした。
昨日、私は皆さんの、その不安のエネルギーを受けながら、なおかつ自分の立ち位置にい続けようと努力しました。それは本当に恐ろしく、大変で、身体は消耗し、こうして穏やかに話せるようになるまで24時間かかりました」
…実は、このブログを書いている今も、少し体に余波が残っています。
留学すれば、日本人というアイデンティティを背負いながら、自分でいなくてはなりません。
「あなたは日本人だから」という見方をされるたび、私は激しく異論を唱えてきました。まず第一に「あなたはあなただから」という見方をしてほしいと思うからです。もちろん国籍や文化を無視するわけではありません。でも、日本人といったって、本当にいろいろな人がいる。まとめて語るのは危険です。
私の発言がクラスのみんなや先生にどう受け止められたかはわかりませんし、また、どうでもいいことです。一人ひとりの受け止め方は違いますから。ただ、世の中が荒れた時には、すごいエネルギーが渦巻きます。それを受けて立てるヒーラーになるために、こうしたプロセスが素晴らしい筋トレになるのは間違いありません。