久しぶりに「ボウズ」という言葉を思い出しました。アパレル販売の仕事をしていた頃に、売り上げがゼロの日をそう呼んでいたのです。
ボウズ=坊主。数字がまったく達成できなかった日。販売職にとって、それは僧侶のように心を無にする良き日ではなく、飢餓を示唆し、不安と恐れを引き起こします。
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さて、ここからは恒例のハエトリグモ観察日記です。このブログではクモ全般を「クモ隊」、個々のクモを「隊員」と称します。クモ全般が苦手なかたは、閲覧をお控えくださいませ。
4日間、盟友ぴょこたん隊員に何も餌をあげられない"ボウズ"が続き、私はかすかに焦っていました。今日こそはコバエを捕らえてみせる。そう意図してハラを整えると、見事に4匹獲得できました。
夕方には、ぴょこたんはいつもの狩り場に出てくるでしょう。それまでの時間に国葬がおこなわれます。テレビをつけて、私ははたと気づきました。ぴょこたんは今回もテレビを見るのでしょうか? エリザベス女王の時みたいに。
ありし日々の元首相の活動を振り返る映像が流れ、心のこもった弔辞の数々がなされるも、ぴょこたんは出てきません。
――え。日本国はスルーですか?
ぴょこたんのルーツは英国にあるのかもしれないと思っていたら、皇族の方々の献花が終わって参列者がそれに続き始めた瞬間に、カゴの中からそっと姿を現しました。どこまでも慎み深い。それがぴょこたん隊員です。
しかし、昨日の動きはいつもと違っていました。なんとなく怯えたような感じで、いつもの安定感がありません。
隊員は私のエネルギーフィールドに反応しているのでしょうか? いつもの狩りの時間である夕方が近づくにつれ、私の意図はエゴに変わっていきました。「なんとしても餌を与えたい」という身勝手な考えが、フィールドの周波数を変えていたのは言うまでもありません。
そもそも、4日間ボウズで何も食べていないなら空腹だろう、と考えるのは私の視点からの決めつけです。ぴょこたんは私の知らないところで何か食べていて、満腹かもしれない。
実際、昨日の彼女はあまり空腹ではなかったのかもしれません。夜になっても、おざなりな感じでいつもの待機場所に止まり、さっさと寝床に消えていきました。「今日は何なん、放っておいてよ」とでも言いたそうなニュアンスです。それもまた、私が自分勝手な思いを投影しているのかもしれませんけれども。
ヒーリングにおいても、このあたりは非常に深くて重要な問題です。ヒーラー側は「クライアントは、きっとこうだろう」という無意識のきめつけをしていないか、常に自己を振り返らなくてはなりません。そうしないと、相手が求めてすらいないものを、必死で与えようとして圧迫してしまう。癒しどころではありません。
そう考えると、昨日の私の在り方は、人間的な愛とエゴがいつしか混じり合い、宇宙的な愛に反していました。地球上の人間的な世界は常に「ただ何もせず、あるがままの自己を受け入れ、あるがままの他者を受け入れる」ボウズの状態と、「飢えずに生命を維持するために、自己のため、また他者のために何かをする」こととのせめぎあいです。
ちなみに、4匹も確保したコバエですが、与えようと奮闘している最中に、すべて逃げられました。身勝手さから生まれたネガティブな意図から生まれる行動は、本来の望みを叶えない。宇宙からの教えですね…。