実家の庭に敷いたゴザの上での宴会。それは実際、何度かなされたと思いますが、私はたぶん、せいぜい幼稚園児ぐらいの年頃でした。ですから、具体的な内容はほとんど思い出せません。ただ一つ、覚えているのは、タバコに似せた駄菓子を手渡されたことです。
アマゾンで探すと、なんと今でも売られていることが判明。ココアシガレットというらしい↓
祖父も大叔母も喫煙者でしたから、幼い私はタバコが何であるかをよく観察して知っていました。そんな子どもである私の目に、この「ココアシガレット」は本物そっくりに見えました。
家族の中の誰かが私にささやきました。「これをな、一本『はい、どうぞ』ゆうて、おっちゃんに渡してみ。タバコと思いはるやろか?」
面白い。私はワクワクしました。しかし、葉っぱが詰まった本物のタバコと駄菓子(中身はチョコレート)とでは重さが全然違うこともまた、私はなんとなく理解していました。でも、もしかしたら……だませるかもしれない。
私はおっちゃんに近づいて、駄菓子のタバコを一本差し出しました。「はい、どうぞ」。
おっちゃんはそれを手のひらで受け取ると、そのまま手を軽く上下させ、「あっ、こらタバコやないなあ。なんやろか、お菓子やろうか」。
「ああーー」と、周囲の大人たちから一斉に声が上がりました。みんな、顔をほころばせています。「やっぱり、ごまかされへんかったか」と言う大人に、おっちゃんは「そら、わかりますわな。ほれ、重さが、ほんまもんのタバコとは全然ちゃいまっせぇ」。幼い私もおっちゃんの言葉を聞きながら、そらそうやろうなぁ、と思いながら笑いました。
これとそっくりな光景が、「疑似臨死体験」で展開し始めました。ゴザの上で人々が集い、光となって輝き、愛を放っているのが視えました。
――私はあんなにも、愛されていたんだ。
――それだけじゃない。誰もが、心から楽しんでいた。
後の実人生では、私は家族に不満を募らせ、本当に長い間、迷走しました。何に憤ってよいかわからず、しかし憤りは消えず、憤ったまま部活に励み、憤ったまま受験勉強をし、憤ったまま大学を卒業して就職しました。だけど……だけど……
――こんなにも、私の家族は楽しい家族だったんだ……
ゴザの周囲には、ひよこ隊もいました。無言で、ティンカーベルのように宙を飛んでいます。
――あの頃から、いてくれたんだね。
そう思った瞬間、映像が高速で進みだし、私の単独の生活体験が映し出されました。いわゆる「走馬灯のように」、です。危ないことをしてヒヤリとした場面でも、彼らはいた。黙って。
――あの時も、あの時も、あの時も、いてくれたの? ひよこ隊は?
どっと涙があふれると、そのまま、私は気絶するように眠ってしまいました。
続きます。