新しい自分の作り方

BHSバーバラブレナンヒーリングサイエンス認定プラクティショナー/シカ・マッケンジーのブログ

「安心の島」

友達とのささいな違いが「いじめ」の原因になる。みんなと同じでないと恥ずかしい――そんな恐怖感をやわらげてくれる出来事がありました。私が小学6年生の時です。

 

その日は卒業式間近で、机や椅子を整列させるために、30cmの物差しを全員持ってくるようにと先生に言われていました。

 

当時の物差しは竹製だったかな。それを、家から持ってくる。日頃はまったく使わない代物です。当日、私はすっかり、それを持参するのを忘れました。

 

 

「どうしよう。持ってないの、私だけ……」

 

 

先に男子たちが集められ、物差しを持ってどこかへ行きました。まずい。女子の番になる時に、誰か男子をつかまえて、物差しを借りなくてはなりません。

 

女子が集められて移動を始めます。私は焦りました。誰か……男子。誰か……。

 

私だけが取り残されそうになった、その時です。「これ、持ってけ」。一人の男子が静かに声をかけてきました。

 

くーちゃんと呼ばれる子でした。ご両親は大学にお勤めだとかで、くーちゃん一家は国立大学の敷地の近くに住んでいました。そのためか、彼も学者のような雰囲気があり、水彩画も上手なのでした。彼がコンテストで入選した絵は、渋くて枯れた色で描いた「お寺」の風景。小6にして侘び寂びです。

 

いつか誰かが「くーちゃんに教科書を借りたら、鼻くそが付いていた」と言っていましたが、そこにいじめや侮蔑のニュアンスはありませんでした。どこか老成した感じのくーちゃんを、みな尊敬していたのかもしれません。

 

その、くーちゃんが私に差し出していたのは、もはや物差しの形をなしていない、異様に細くてずず黒い棒でした。幅は原形のの3分の1ぐらいしかなく、目盛りはかすれて消えています。どうしたら、こんなに汚くできるのか。

 

 

でも、30cmであることには変わりない。私はくーちゃんからそれを受け取り、急いで女子の列に加わりました。

 

 

出来事は、たったそれだけです。私はこの一瞬のやりとりから、「誰かに馬鹿にされることなんて心配しないで、静かに、自分らしく生きている」くーちゃんの存在を感じ取りました。

 

 

ヒーリングやセラピーの場では、長い年月をかけて、トラウマを抱える人の回復を支えます。長くかかるのは、トラウマの苦しみのために口を閉ざしてしまう人が多いからです。

 

そのため私たちは、トラウマへの取り組みを(中略)「振り子のように行ったり来たりさせる」ことを学んだ。物語の細部に帳面するのを避けるわけではないが、片足の爪先を安全なかたちで水にそっと浸けてみて、それからまた引き上げるように、患者に教える。そうやって、しだいに真実に近づいていく。

 私たちはまず、体の中に「安心の島」を確立する。

(『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』p. 402)

 

ヒーラーやセラピストが絶対的にもたらす必要があるのは、とにもかくにも安心感です。忍耐を重ね、クライアントは徐々に、上記のような「安心の島」を体内に感じ始めます。

 

それは普段の生活の中でも得られるんだな、と今になって思います。くーちゃんの物差しは「安心の島」として、私の中にある。長い間、思い出すことはなかったけれど、潜在意識でずっと私を支えてくれていたんじゃないかと思います。たとえ人とは違っていても、その時に必要なことをするまでだ――それをしても大丈夫、という安心感です。