最近やたらと祖母のたたずまいを思い出します。祖母は第二次大戦中、多くの子どもを抱えて生き延びました。疎開もしたそうです。
私はこの、父方の祖母と同居はしていませんでした。ですから遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりといったことはあまりありません。むしろ、そのために、祖母の本質的なエッセンスを無意識に、強く記憶しているかもしれません。
一番強く覚えているのは、祖母にボールペンをもらったことです。祖母は「あんたにあげようと思って、とっておいた」と言いました。
そのボールペンにはある会社名が書かれてありました。粗品でもらったものなのでしょう。子供心に「なんでわざわざ、これを?」と、かすかな違和感を覚えました。
何年か経ち、私は小学校の高学年になり、岡山に引っ越しました。こじんまりとした一戸建ての社宅の二階が弟と私の共同の子供部屋となりました。
南向きの窓辺に勉強机があり、ペン立てがありました。ある日、学校に行く準備をしていたか何かの時に、そのペン立てに私の手がぶつかったのか、
ぽんっ!
と、一本のボールペンが飛び出すように、机の上に落ちました。
……あっ。
あの粗品のボールペンです。私は祖母のことを思い出しました。その頃、祖母は体調が悪くて伏せっていました。大丈夫だろうか? 「まあ、元気にならはるわ」(←祖母は京都の人です)と心の中で思い、私は学校に行きました。
祖母が亡くなった、という知らせが入ったのは、その後まもなくです。
何十年も経った今、そのことを思い出しました。「あんたにあげようと思って、とっておいた」という祖母の言葉が、当時とはまったく違う意味合いで響いてきます。
……あんたがわかるように、この道具を使って合図を送るから
とでもいうような。
それはおそらく、頭で考えて決めるレベルではないように思います。「悲しいけれどさようなら、私のことを覚えておいてね」というような重い感情のレベルでもない。それはハラで感じる感覚であり、また、もっと高いところから、信号のように送られてくる、超越的なつながりの感覚でもあり……
「あんたがそれをわかったら、あとは、それをどう生かしていくかや」
と、言われているような気がします。
祖母はけっして非凡な暮らしをしていたわけではない、つつましやかな女性でしたが、すごい霊能力者だったかもしれません。今になって、祖母の存在を心強く感じます。