新しい自分の作り方

BHSバーバラブレナンヒーリングサイエンス認定プラクティショナー/シカ・マッケンジーのブログ

家族写真

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もうずいぶん昔に「ちょっといいな」と思っていた男性の近況をSNSで見かけました。アーティストの仕事を引退して実業家に転身し、白髪まじりでほほえむ写真は「かっこよくて、やさしいお爺ちゃん」のようでした。

 

 

若い頃の彼は、とてもモテていました。彼の友達もみな、それなりにモテていましたが、彼だけは心の中になんだか清潔な、静かな芯のようなものがあるように感じましたから、私は「いいな」と思ったのです。

 

 

でも、彼をめぐって女性どうしでいさかいもあったかもしれません。電話越しに「どこにいるの? 何してるの?」と大声で叫ぶ女性の声が聞こえたこともあったのです。後で尋ねると、奥さんに浮気を疑われているとのことでした。

 

 

……いや、実際に、浮気してんじゃん。

 

 

浮気相手の女の子は「彼はやっぱり奥さんを愛しているのよ。結局はおうちに帰るのだもの」と言います。そして、たぶん、奥さんは「彼が私を愛しているなら、なぜ他の女と一緒にいるの?」と言ったでしょう。どちらの立場もやるせない。彼は誰を愛しているのでしょう? それは彼にもわかっていないようでした。

 

 

最近のSNSには古い家族写真がアップされていました。若かった頃の彼と、奥さんと、幼い息子さんの三人が、たぶん入学式か何かの記念で撮影したものでしょう。奥さんの和服姿は少しバブル時代の華やかさがあり、なつかしさを感じさせました。

 

 

 

……わあ、こんな人だったんだ。素敵じゃん。三人とも、素敵。

 

 

 

投稿には、こんな文章が添えてありました。

 

 

 

「僕の最初の妻へ。きみがいなければ、今の僕はなかった。どうぞ安らかに」

 

 

 

奥さんは亡くなっていたのでした。

 

 

 

私の耳に「どこにいるの? 何してるの?」という声がよみがえりました。彼女は寂しかったでしょう。腹が立ったでしょう。そんな日々が何日も、何カ月も、何年も続いていたでしょう。

 

 

一枚の古びた家族写真には、そんなことを感じさせない、誇らしげな三人の姿がありました。泣いたことも怒ったことも全部溶かしてしまうような、どこか甘い、おとぎ話のように素敵な時空がずっと続いているかのようでした。

 

 

彼は誰を愛していたのでしょう? さんざん遊んでおいて、妻がこの世を去ってから「どうぞ安らかに」なんて自分勝手じゃない? と少し思いました。でも、若かった頃の彼は、愛したいのに愛し方がわからず、怖くなって自由を探していたんじゃないかと思います。

 

 

仕事が終わると遊びの服装に着替え、ハイヒールを履いて夜の街へ出かけていた、あの頃。思い出して気づくことがあります。相手を思い合う心に目覚めたカップルは、夜遊び組からいつしかフェイドアウトしていった。いつまでも踊っているのは、愛することを恐れ、それでも愛されたくてたまらない人たちだったのかもしれません。

 

 

私は彼を「ダディちゃん」と呼んでいました。息子さんがいることを知っていましたし、息子さんをとてもかわいがっていましたから。奥さんのことも、実は大切にしていたのかもしれません。照れずに、怖がらずに、そのことをもっと見せてくれていたら、本当に、本当にいい男だっただろうなと思います。

 

 

でも、私もやっとこの歳になって、恐れずに人を愛するのは、とても難しいことだということがわかりました。人々のちょっとした瞬間の表情や動きにそれを感じ取りますし、私の心の中にもたびたびそれは生まれます。正直に自分の心を見つめていないと、この恐怖はいともたやすく「恋愛ごっこの燃料」にすり替わってしまうのだ、ということも。

 

 

あの家族写真を見て「誰かの人生の終わりを見届けた後で、はじめてわかることもあるんだよ」という声が聞こえたような気がしました。

 

 

ね、そうじゃない? ダディちゃん。