新しい自分の作り方

BHSバーバラブレナンヒーリングサイエンス認定プラクティショナー/シカ・マッケンジーのブログ

自分の中身

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BBSHの教育内容、4年のカリキュラム。1年目は自分を見つめ、2年目で他者との関係を見つめる。3年目で神や権威との関係を。4年目ですべてを統合し、自分なりのヒーリングを追求します。

 

 

学生全員が卒業後にプロのヒーラーになるわけではありません。卒業すれば認定プラクティショナーになれますが、先日、「将来は開業するつもり」と挙手した人は私の学年で3割ほどでした。もちろん私も手を挙げましたが、自分の成長のために通学している人が多いことにも感銘を受けました。

 

 

このブログで時折、無料実習モニター募集のお知らせをしているのは、カリキュラムの中の宿題レポート(DLM)やケース発表のためのクライアントが必要だからですが、その内容はヒーラー自身を深くえぐるもの。だから、入学すると、ものの見方や人生観が大きく変わっていきます。

 

 

DLMにはクライアントのかたのオーラ診断や所見も書きますが、それは自分と向き合うきっかけのようなものとして扱われる感じです。DLMでは「あなたのエッセンスが輝いた時はどんな時でしたか」「あなたはどのような心理的な転移(=transference。相手に対して自分自身の何かを反映し、認識すること)を感じましたか」「クライアントとのコンタクトが困難だった瞬間はありましたか」といった質問がずらりと並びます。

 

 

「私はうまくできました」「とてもよいヒーリングができて感動しました」と書くと「それってちゃんと自分を見つめられていないのでは」と不安になります。「この部分はできませんでした」「もっとうまくできたはずなのに、心が抵抗してしまってだめでした」と書くと「そんなに自分を打ちのめすのは、自分に対する期待が大きすぎて不自然だ」と思い、また不安になります。

 

 

書いては消し、書き直し、提出が遅れる人もいます。私は期限を必ず守りますが、「DLMがどうしても間に合わない」と悩んでスクーリングの期間中、苦しみに沈む人もいます。期限どおりに提出できた私もまた、気分は爽快とは言いきれません。多くの項目を細かに評価され、パスしたかしないかをスクーリングの週の最後に通知されます。私はたいてい、心理的な項目をパスするのが遅いです。「もっと掘り下げなさい」という先生からのメッセージです。

 

 

 

スクーリングの期間には「スーパービジョン」と呼ばれる時間もあります。ここで練習セッションの事例を発表するのです。クライアントのかたは匿名のイニシャルで。大きな紙に自分で人体を描き、チャクラの状態を描いてセッションの内容をプレゼンします。

 

 

人体を描いた時点から、先生の鋭い指摘が入ります。「その絵は、手がとても短いわね(学生たち、笑う)。いえ、笑おうというのではないの。それにも意味があるはずだから」。ヒーラーの深層心理が絵にも表れるのです。

 

 

クライアントは何歳で、職業は何で、当日の会話はどのように進んで……と発表が始まり、ある程度までプレゼンが進むと先生から質問が出ます。それはたいてい、ヒーラー自身に関するものです。親との関係、子供時代のこと。クライアントの特徴との関連性を尋ねられることが多いです。

 

 

たいていの人が、深い感情を感じて動揺します。子供の頃に自由を制限されたように感じて、隠れるようにして遊んでいたと言う人。両親が不仲で、自分が一生懸命につなぎとめようとしていたと言う人。これまで誰にも打ち明けたことのない過去を話し始める人もいます。

 

 

そうなると、もう、ばらばらと仮面が割れて崩れ落ちるような感じ。発表者は「本当の自分」とコンタクトするようになります。泣き出す人も少なくありません。ハグをしたり、叫んだりしてエネルギーを動かすワークがなされます。

 

 

ヒーラー自身が心の奥で求めていたサポートを先生やクラスメイトから受けた後で、もう一度、クライアントの話に戻ります。「本当の自分」を恐れず、前面に出してクライアントと向き合ったら、どうなるか。新たな視点が生まれ、深みが生まれます。クライアントを「助けを求めてやってきた他人」や「自分を評価する顧客」としてでなく、もっと人間的なつながりを分かち合える存在として対峙できるようになります。

 

 

一度、私もケース発表をしました。プレゼンが佳境に入ると、私は全身のフィールドを使ってアストラル界を探索していたのを思い出し、いつしか主語を「I(私)」ではなく「we(私たち)」として話していました。クライアントのかたと一緒に旅をした、忘れられない思い出です。

 

 

人間関係は鏡のようなものだと言われます。相手は自分を映し、自分は相手を映し出す。「あなたは素晴らしいヒーラーですね」と言われたら、それはそのかたが、ご自身の中の素晴らしい部分をヒーラーに投影しているのです。ヒーラーはできうる限り、澄んだ鏡にならねばなりません。

 

 

さて、私の中身は? 

 

 

まだまだ探求は続きます。