新しい自分の作り方

BHSバーバラブレナンヒーリングサイエンス認定プラクティショナー/シカ・マッケンジーのブログ

ディグニティ!

f:id:eigogeki:20121211155330j:plain

最近の私のテーマの一つに「いかに自分の尊厳を大事にするか」があります。とはいえたいそうなものではありません。いやな気持ちが生まれた時に

 

 

Dignity! (尊厳!)

 

 

と自分に問いかける。それをくり返しているうちに、いやな気持ちを起こさせるものとの関係性が徐々に変わってきているように思います。

 

 

そんな中で皆さまとお会いしたりするうちに、ふと、私が体験した、対照的な二つの事件を思い出しました。どちらも「女の子の身体に対する尊厳」にまつわる事件です。

 

 

ひとつは小学校4年生ぐらいの時のこと。女子のスカートに強い興味を募らせている男子A君が、Sさんという女の子(美人でした)のスカートをめくり、はやしたてたのです。私はお掃除当番を終えて教室に帰ってきて、その騒動を知りました。

 

 

Sさんはうつむいてしくしく泣いており、女性の担任の先生も泣いていました。先生の剣幕はすごかったです。「あなたがズボンを脱がされたら、どんな気持ちになる?! 今すぐズボンを脱いで、校舎の中を一周、歩いてきなさい!」

 

 

A君は気まずそうに薄笑いを浮かべるだけです。その態度が、さらに先生をヒートアップさせました。先生はSさん以上に激しく泣いていたと思います。「さあ、早く! ズボンを脱ぎなさい! 脱がないなら先生が脱がせますよ! Sさんがどんな気持ちか、自分でわかるようにパンツ一丁で歩いてきなさい!!!」

 

 

その後の私の記憶は曖昧です。たぶんA君は薄笑いを浮かべたまま、「先生がそう言うんだったら…」みたいな感じでズボンを脱ぎ、へこへこと歩いて校舎を一周したように思います。ただ、私は内心「スカートをめくられたのはSさんなんだけどなあ。どうして先生が泣いているの? 先生、怖い。何かいやなことがあったの?」と感じたことは確かです。

 

 

もうひとつは、幼稚園の時の事件です。

 

 

私たち数人の園児たちは、お人形で遊んでいて、ふとした興味からお人形の服を脱がせてみました。肌色のセルロイド製のお人形は幼児の目にも、妙になまめかしく映りました。ふいに、一人が言いました。

 

 

「なあ、みんなでオルガンの裏に隠れて、先生が来たら、この人形で脅かしてみん?」

 

 

みんな賛成し、オルガンの裏に隠れて先生を待ちました。あの時のわくわくした感じは忘れられません。先生は、きっとびっくり仰天するぞ……みんながそう予想していたと思います。

 

 

 

……しーっ。静かに。待って、待って。

 

 

 

……あ! 先生、来た! せーの、

 

 

 

わああああーーーーーーっヽ(^o^)丿

 

 

 

私たちは素っ裸のお人形をオルガンの上に突き出しました。

 

 

すると、若い女性の先生は、少し沈黙の後でこう言いました。

 

 

「そんなことをしたら、お人形さんが悲しんでいるよ」

 

 

それは静かなひとことでした。私たち園児は神妙に黙り込み、そっと解散するようにオルガンの裏から離れました。誰も何も言わなかったと思うけど、本当はあの時、どうだったんだろう? 少なくとも、幼い私の心には「わかった。もう二度と、しない」という決意が瞬時に刻み込まれていました。

 

 

小学生のスカートめくりと、幼稚園の裸人形。この二つの事件で、子供たちに対する大人の、まったく異なる対応を見ることができたのは、私にとって非常にラッキーでした。子供たちと先生との間でエネルギーやオーラ的な交流がどうなされていたか、今なら分析もできそうです。

 

 

あの時、幼稚園児だった私たちが触れたもの……実は、それは「かわいそう」「悲しい」「情けない」というような感情ではなく「dignity(尊厳)」だったのだと思います。それは叱責や罰、涙や怒りを超越したところにある。光のように。

 

 

SさんのスカートをめくったA君はその後も女性のヌードの絵をノートに描いたりして、性への興味を炸裂させていました。新しい担任の先生は男性になり、「おまえも好きやのう(笑)」と言われていたけれど。それから彼は大人になって、いつかどこかで「性のエネルギーと尊厳が出会う体験」をしたかしら。クラスの誰よりも純粋だった彼を、なつかしく思います。