ふと、BBSHの同級生のことを思い出しました。くりっとした瞳に快活さとやさしさがあふれ、歌がじょうずな、セミロングの髪をした40代ぐらいのアメリカ人の女性です。言葉のはしっこに、ちょっとした爽やかさを感じさせるのは、彼女の名前が男の子みたいだったこともあるかもしれません。それにならい、ここでは彼女を「ボビイ」と呼ぶことにします。
三年生になった今でも、私は休み時間は一人で過ごすことが多いので、ボビイともおしゃべりをしたことはほとんどありません。でも、一年生と二年生の頃、彼女と何度かペアを組んでエクササイズをしたことがありました。
向かい合わせに椅子を並べ、ヒーラー役とクライアント役になってロールプレイをするのです。私は英語に不自由はしませんが、やはり母国語の日本語で話す時とは感覚が変わります。正直、このロールプレイのエクササイズは「早く終わってほしいな」と感じるものの一つでした。
でも、相手がボビイだと、私はそんなことをすっかり忘れました。彼女のいきいきした瞳を見ると、自分の思いを自然に口に出すことができるのです。
「ヒーリングなんて嫌いだわ。だって、とても意地悪な先生がいたんだもの。癒しなんて嘘っぱち。よけいに傷ついてしまったわ」
子供がお母さんに甘えるように言うと、ボビイは「あっはっは」と笑いながら受け止めてくれました。そして、機知に富んだ言葉を返しながら、私の気持ちを掘り起こそうとしてくれるのでした。
それは不思議な感覚でした。彼女とは、向かい合った途端に自分の心が開くのです。何を話しても大丈夫、という、根拠がわからない安心感。
彼女の前なら、素直な自分でいられる……
そんな存在になれたら、ヒーラーとしてどれほど素晴らしいことでしょう。
そしてまた、ふと今日、別なことに気づきました。
「この人の前だと素直になれない」と感じる相手と対面したとして、それもまた、リアルな自分の姿であることに変わりはないのだな、と。
BBSHでは「素直になれない」と感じる時を重視します。ネガティブな感情が生まれたり、優越感や劣等感などを理由に相手や自分との切り離し(セパレーション)を体験したりする時に、自分の中で何が起きているかをこまかく観察することが奨励されます。
あらゆるものをリアルに受け取る勇気を養うために。
そうすれば私もボビイのように、いつかはクライアントが自然に心を開くことができるような、懐の大きなヒーラーになれるかもしれません。
三年生も半ばを過ぎた今、ボビイの姿は教室にはありません。
二年生が終わる頃、家庭の事情が不安だと口にしていた彼女は、進級を断念せざるをえなかったようです。
一、二年休学してからまた復学する人も多い中、またボビイが学校に戻ることがあるかもしれません。または、もう学校には戻らないかもしれません。
でも、私は彼女の素晴らしいプレゼンス(存在)を知っています。今いる場所で、あの瞳を輝かせ、彼女ができることを精一杯しているのだろうと思います。