妻が死の国で囚われても悲しみもしない夫。前回の記事ではドゥムジという名の夫に非難が殺到しました――というのは嘘です(ごめんなさい)。それよりも多かったのは「ほうら、やっぱり。どうせ男なんて、こんなものよ」という感想だったように思います。
あなたは、どうですか?
従者たちは懸命にイナンナを助けようとしました。なのに肝心の夫は知らん顔。
さーあ捕まえた!
イナンナはドゥムジを睨み、
どうする、イナンナ?!
「この男を連れて行って」と言いました。
やっぱりね。妻なら瞬時にそう思いますよね。夫は驚きます。不意を突かれるんです。
ドゥムジは驚き、神々に助けを乞いました。
ヘビや鷹に変身して逃げようとしましたが、
冥界に引きずり下ろされました。
ぎゃあああああ! ドゥムジ死す。
ここで"悪い夫が成敗された"と見るのは少し単純すぎる気がします。「イナンナが帰ってこないから、さっさと次の女を見つけて遊んでたんでしょ?」と先読みする方もいらっしゃるかもしれませんが、神話にそのような記述はありません。
ドゥムジはイナンナがいなくなって、恐ろしいショックを受けて遊び呆けていたのではないか――と私は推測しています。反論はあるだろうけど。
大切な伴侶が突然風邪を引いて寝込んだりすると、私たちの頭は空っぽになります。たかが風邪でも、あまりにもショックだから。そこで、ほとんど無意識に超・無神経な発言や態度になってしまうんです。高熱で動けない妻に「俺のごはんは?」って夫が言って大喧嘩、ってよく聞く話ですけれど。
あれは夫に思いやりがないんじゃなくて、エリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容」第一段階の「否認」なんじゃないかな。「げっ、俺の妻が死にかかってる→妻が死ぬなんて恐ろしいし怖い→記憶から消そう」という。これ、ほんとに意識しないでやっちゃうことなんです(私も経験済みです。振り返ってみると自分の心や思考がいかに鈍っていたかがわかります)。
イナンナも「ああ、冷たい夫を地獄に送ってすっきりしたわ」とは言いませんでした。実に、次のような反応をしています。
イナンナは髪をかきむしって悲しみました。
「夫に抱かれる妻たちよ、私の大切な夫はどこ?
父に抱かれる子どもたちよ、私の大切な子はどこ?
私のあの人はどこにいるの?」
夫婦の愛とは、深くて複雑なものですね・・・相手を100%憎むことはないんだと思います。
結局、ドゥムジの姉ゲシュティンアンナが身代わりになると申し出て、
ドゥムジが冥界で過ごすのは一年の半分になりました。
彼が冥界に消えると野は枯れ、世界は冷え込みます。
地上に戻ればイナンナと二人、野で楽しく過ごします
愛を得るよろこびと、愛を失なう悲しみと。この世は常に半々なのかもしれませんね。
『イナンナの冥界下り』、お楽しみ頂けたでしょうか? この神話の詳しい解説は『世界を創る女神の物語』(ヴァレリー・エステル・フランケル著/フィルムアート社/拙訳)に掲載されています。イナンナの他にも世界各地の民話やおとぎ話が34話プラス多数紹介されています。
世界を創る女神の物語 ─神話、伝説、アーキタイプに学ぶヒロインの旅
- 作者: ヴァレリー・エステル・フランケル,シカ・マッケンジー
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: 単行本
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また、この本の中からお話を抜粋してご紹介していきますね。英語劇の題材にできそうな物語もたくさんあります。