誰にも見せたことのない怖い顔、醜い顔――そんなものは見ないで生きていたい、笑っていたい。ネガティヴな自分、ダークな自分。それって、もしかしたら"死"なのかも。
だったら死を見てみたいな!
女神イナンナはそう思って死の国に行きました。
その顛末を描いたのが『イナンナの冥界下り』。世界で最古の物語の一つです。
死の国は地の底にあるといわれています。旅の支度をし、万一生きて帰ってこれなくなったら、みんなに助けを呼んでくれと従者に頼み、イナンナは出発します。
今日から少しずつ、イナンナの旅をおはなししていきますね。この話、いろいろなことを考えさせてくれるのです。
イナンナは頭飾りとラピスラズリの首飾り、乳房に卵形のビーズを着け、
パラと呼ばれる高貴な衣裳をまとい、胸飾りや金の指輪も着け、手に竿尺を持ちました。
死の世界を見物に行くのに、たいした着飾りようです。肝試しに行くのにつけまつげフサフサで、おしゃれなハンドバッグやハイヒールを履いて出かけるようなものでしょうか? 危なそうですね。
イナンナは冥界正面のガンジルの門を揺すりました。「開けて下さい、門番さん。開けて下さい、ネティ、開けて。」
・・・と頼むのですが、門番とて勝手にイナンナを入れてやるわけにはいきません。
死の国を統治するのはイナンナの姉なのです。
冥界の大門番ネティは「お前は誰だ?」と尋ねました。
「日が上るところの女王イナンナです」
「もしあなたがイナンナならば、なぜここに?ここに来た旅人はけっして帰れませんよ」
「姉エレシュキガルの夫、グガルアンナ神の葬儀に献酒をしたいのです」
「ではお待ち下さい、イナンナさん。エレシュキガル様に伝えます」
エレシュキガルは、後で説明しますが、とても不気味な存在です。なにしろずっと死の国にいるのですから、親しみやすいわけがありません。姉は「開けてよー、中を見せてよー」と軽々しく訪問してきたイナンナに激怒します。しかも「お酒をお供えしにきたんですー」とは口実に過ぎません。
これを聞いたエレシュキガルは、冥界の扉を乱暴に揺するとは、と険しい顔で怒りました。
中に入りたければ皆のように一つずつ門をくぐらせろと命じました。
(『世界を創る女神の物語』ヴァレリー・エステル・フランケル著/フィルムアート社/拙訳)
死の世界は真っ暗で、謎に包まれています。
それは私たちが普段隠している裏の顔、無意識の心の闇のようでもあります。
「さあ、本音で語りあおうよ」「何でも話してね」と口で言っても、その闇に隠れていることがポンと話せるわけがない。
一つひとつ門をくぐって、一歩ずつ下りていく――その時に、必ずしなくてはならないことがあるのです。
それは何でしょうか? 次回に続きます。